婚礼


村には、村の婚礼の形がありました。
今は行われなくなってしまった、かつての伝統的な婚礼の形を
掘り起こし、再現、記録したのが、yotacco の婚礼です。

記憶を辿って、お話を聞けるのは、70 代以上の方。
しかしその方達は、50年前に実際に結婚をした新郎新婦であったため、
準備のこと、どんな行事があったのか、どんな動きだったのか、
細かいことまではわからないことも多くありました。

それでも、目を細めて記憶を辿り、懐かしそうに、ちょっと恥ずかしそうに
語られるその時の情景を、少しでも再現できたらと、
私たちの婚礼プロジェクトは始動しました。

上野村のケーブルテレビの協力を得て、記録に残すこともできました。
多くの村の方達の力を借りて、再現することができ、
式当日は、映画の中にいるような、50 年前にタイムスリップしたような
夢を見ているような一日でした。

また、長く上野村で教育長を勤められた、西澤晃氏の協力は絶大なものでした。


嫁迎え

お嫁さんの家に、お婿さんご一行が訪問。婿側のおじ、おば、仲人などが奇数の人数でお嫁さんを貰いにいった。家の入口で婿方ご一行を迎える。

嫁の家に見立てた会場:上野村今井家旅館

迎え座敷

嫁の両隣に仲人夫妻が座る。仲人の奥さんはお嫁さんが食べやすいようにお世話をする。婿方はできるだけ早くきりあげて連れて帰りたいのに対し、嫁方はできるだけ長く宴会を続けるよう、やり取りが進められる。

お相伴

迎え座敷、本座敷ともに、座敷を仕切るのがお相伴の役目。口が達者で、お酒が呑めなければ勤まらない。自らお酒を呑みほし「これこの様に蜂の巣にして・・・」と器をひっくり返し、お酒を勧めていく。

いとまごい

嫁から、両親への別れの挨拶。暇(いとま)を乞う。挨拶の後、嫁は玄関からではなく、縁側から外へ出た。「二度とこの家の敷居はまたがない」つまり、離縁して帰ってこないように、という意味があったそう。

嫁送り

婿方一行を先頭に、嫁方が連なって歩いてゆく。お嫁さんは仲人の奥さんに手を引かれて歩く。かつては実際に峠も越え、歩いていったが、50年前ではすでにトラックに嫁入り道具をのせ、お嫁さんは助手席に乗っていくこともあったとか。

サカ迎え

婿方の集落に到着すると、集落の入口で村の人たちがおごっつぉを並べて待っている。長いこと歩いてきた一行をねぎらい、嫁方はそこで身支度を整えたが、50年前には形だけとなり、実際にそこで休んで行くことはなかった。

トボウ盃

婿方の家に到着すると、お嫁さんは勝手口から入る。片足だけを中に入れた状態で、お茶もしくはお酒をお姑さんと飲み交わし、親子となる。飲み終わったお茶碗を、お姑さんは袂にしまい、お嫁さんの手を引いて中へ。

三三九度

人前式での、おめでたい固めの盃。近所の子供が雌蝶、雄蝶として、お酌する。ここでお酒を飲み交わし、夫婦となる。

本座敷

新郎新婦の両隣に、両家の仲人夫妻が座る。

かつて、座敷(宴会)は何回かに分けられ、親族の座敷、地区の人を招く座敷、お手伝いしてくれた人たちをねぎらう座敷と、翌朝まで続いたという。

仲人

仲人さんは、両家に一組ずつ夫婦でお願いした。式の流れを取り仕切り、奥さんはお嫁さんの面倒をみる。

おかってし

宴席のおごっつぉ(御馳走)の献立、調理方法、盛り付け、配膳のなどの全てを細かく取り仕切ったのが「おかってし」で、かつては男性の役割であった。この婚礼では、村の郷土料理研究の第一人者のお母さんが行ってくれた。

婚礼のおごっつぉ

一の膳、二の膳、大皿料理、おしのぎの「胡桃のかけしょう」で食べる手打ちうどんなど、当時の料理を忠実に再現した。料理の素材、作り方、盛付け方などの全てに、子孫繁栄の願いと、おめでたい意味が込められている。

お給仕

集落に住む、未婚の女性がお給仕として手伝いを頼まれた。宴席への出席者が、お給仕さんの座敷での振る舞いをみて「次はあの娘を、誰彼の嫁にやりてえなぁ」などと、見定めるための時間でもあったそう。

余興

興が乗ってくると、親戚や集落の中から芸達者な人が立ち上がり座敷を盛り上げる。婚礼の座敷ではお酒を飲める喜びを表現した歌や、子孫繁栄を願った卑猥な歌や踊りがお決まりだったとか。

お色直し

宴席の途中で、角隠し、江戸褄の装いから、訪問着へお色直しをした。お色直しの際は、仲人さんの奥さんが手を引いて退席した。

見送り

嫁送りの一行は、座敷のお開きがどれだけ遅くなろうとも、絶対に婿の家に滞在することはなかった。婿が一族を代表して、嫁送りの一行を自分の集落の出口まで案内し、そこで別れに際しての挨拶を述べる。

花嫁衣装

親戚の女性が 50 年前に着用し、その後大切に保管されていた、当時の本物の衣装を借りることが出来た。当時の上野村には白無垢や艶やかな花嫁衣裳を着用する文化はなく、一般的な礼服である「江戸褄」を色物の襦袢や、飾りのある帯で着用し、島田髷に角隠しで頭を飾った。お色直しの際の着物も、当時合わせて使われたもの。

花嫁の化粧は村の美容院にお願いしたが、数十年にわたり村内の婚礼での注文を受けていなかったため、道具が使用できる状態ではなく、村外のお店にお願いすることになった。

漆器・お膳

当時、村内での冠婚葬祭においての宴席で使用される食器は、数件の家から持ち寄りで数をそろえていた。今回使用されたすべての道具は、実際に当時から使われ、大切に保管されているものを、二件のお宅から借り受け使用した。